めざせ複業!日記

サイボウズに勤めながら福祉業界で副業中の50代の日々を綴ります

人に価値なんてない!

「あなた自身の価値って何ですか?」

 

いきなり何、その質問?

そんなの自分でわからないし、他人が感じるものだから、

人の数だけあるのでしょう。

 

人の価値と聞いて、すぐに思いつくのは

 

お金(年収)

 

です。

 

サイボウズでは年収を「市場価値」+「社内価値」で決めています。

 

 “価値”ですね。

年収は何の価値か?

 

でも、その人そのものの価値ではないのです。

 

その人が1年間働くこと」に対する金銭部分の価値表示です。

金銭以外にも柔軟な働き方や職場、スキルアップする仕事など、

会社が提供するものがあるので、

 

1年働く(時間、スキル、ストレス)=年収+働き方+職場環境など

 

となります。

 

同じように考えると、

大根1本を200円とすると

 

大根1本=200円

 

ですが、

 

大根1本+農家さんの想い/ストーリー=200円+消費者の感想

 

の場合もあります。

こっちの方が、つながりを感じたり、幸せになるような気がします。

 

上記の通り、お金は、価値の表示手段の一つでしかすぎません。

お金以外の部分は、人によって異なるし、定量的ではありません。

 

さて、

相模原のやまゆり園事件の犯人が、

「意思疎通がとれない重度・重複障害者は安楽死の対象にすべきだ」

「障害者は生きている意味がない」

と、

社会的に無価値なもの(!)に多額の税金を使っているのが

一方的に社会の損失と思っていたような表現をしています。

 

姥捨て山のお話を思い出しますが、

人そのものを、

(社会ではなく)自分一人が信じている価値で判断しているのが、

おかしいと感じます。

 

先日、日本の社会福祉の父 糸賀一雄氏の言葉を教えてもらいました。

とても素敵な言葉です。

 

《この子らはどんな重い障害をもっていても、

だれととりかえることもできない個性的な自己実現をしているものなのである。

 

人間とうまれて、その人なりの人間となっていくのである。

その自己実現こそが創造であり、生産である。

私たちのねがいは、重症な障害をもったこの子たちも、

立派な生産者であるということを、認めあえる社会をつくろうということである。

 

『この子らに世の光を』あててやろうというあわれみの政策を求めているのではなく、

この子らが自ら輝く素材そのものであるから、

いよいよみがきをかけて輝かそうというのである。

『この子らを世の光に』である。

 

この子らが、うまれながらにしてもっている人格発達の権利を徹底的に

保障せねばならぬということなのである》

 

お金は、人類が発展(幸せに生きる)のための不完全なツールでしかないし、

それだけで判断しては幸せにならないということを強く思います。

 

糸賀氏がいう「認め合える社会」については、

松村の目指す「共生社会」につながるため、

次回、踏み込んで考えてみます(予定)

 

~おまけ

本業ですが、

2月19日(火)に、滋賀県湖南市が開催する

「多様な働き方改革シンポジウム」の基調講演で

お話しさせていただく機会をいただきました。

 

今からドキドキしております

 

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